サラリーマンで巨万の富を築いた 本多清六氏 – 蓄財と株式投資

    本多静六氏は明治・大正・昭和にかけて活躍した投資家です。
    独自の蓄財投資法と生活哲学によって、現在価値で100億円以上の富を稼ぎました。
    その実績から、「蓄財の神様」と称されています。

    サラリーマンでありながら、巨万の富を成したことから、今なお、多くの人々が称賛しています。
    日本のウォーレンバフェット」とも呼ばれることがあります。

    また、彼は東京帝国大学の林学の教授であり、日比谷公園や明治神宮神などの造園に携わり、植林・産業振興などの分野で活躍した人物でもあります。
    定年を期に、財産は寄付し、「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、清貧生活を続けました。

    本記事では、その本多静六氏の具体的な投資手法や人生、彼の遺した名言などを紹介していきます。

    目次

    本多静六氏の生涯​

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    出典:The Duomo Initiative

    裕福な農家から、苦しい生活に

    本多静六氏は現在の埼玉県久喜市に住む折原家の第6子として生まれました。
    折原家は名の知られる裕福な農家でした。

    しかし、本多が9歳の時に父が急逝し、多額の借金を抱えることになります。

    お金のない苦しい生活を余儀なくされます。

    苦学生でも首席になる

    それでも本多は諦めることなく、苦学して書生として住み込みで働きます。

    14歳に、島村泰(元岩槻藩塾長)の書生となり、勉学と農作業とを両立します。

    東京山林学校(現東京大学農学部)に入学します。
    1990年の卒業時には首席になりました。

    ちなみに本多という苗字は婿養子となったため。
    1889年に幕末の幕臣であり、彰義隊隊士を結成した、本多敏三郎の娘・詮子と結婚し、婿養子とります。

    仕事の傍ら、巨万の富を築く

    東京山林学校の卒業後は、林学を学ぶためドイツへ2年間留学します。
    ドイツ留学中にブレンダノ教授の薫陶を受け、勤倹貯蓄に目覚めました。

    帰国後の1892年に、東京山林学校の助教授となり、1900年に教授となります。
    日比谷公園の設計調査委員や、鉱毒調査委員、明治神宮造営局の参与など、植林・造園・産業振興など多方面で活躍します。

    その傍ら、分散投資を始め、巨万の富を築き上げたのです。

    貯蓄して得た財産を寄付する

    1927年の定年時には、全財産を匿名で寄付しました。

    1930年には、国立公園調査会の委員に就任します。
    そして、所有していた埼玉県秩父市の2700haの焼く山林を県へ寄贈しました。

    本多は370冊余りの著作を残し、『私の財産告白』『私の生活流儀』『人生計画の立て方』の三部作はベストセラーとなります。

    戦後の1952年、85歳で逝去しました。

    本多静六氏の投資手法と実績

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    4分の1の天引き貯金

    本多の投資手法は「4分の1天引き貯金」と「分散投資」が有名です。

    「4分の1天引き貯金」とは月給の4分の1を自動的に貯金に充てること。
    さらには臨時収入である、今でいうボーナスも、消費に使わず、貯蓄に回してしまうというものです。

    薄給で貧乏であった時代であっても、この貯蓄法を継続し、投資に使う種銭として資産を増やして行きました。

    本多はお金がない時からこの貯蓄術を実行しています。
    意思の強さもあったと思いますが、天引き分は、「もともと最初からなかったもの」として考え、別口座に移動させます。
    蓄財できたのは、この仕組み作りが、上手く働いたこともあるでしょう。

    専門分野を活かした分散投資

    こうして貯めたお金を元手に、本多はコツコツと投資を始めていきます。

    投資対象は主に株式と土地山林です。

    当時政府が力を入れていた「日本鉄道株」に投資し、2倍以上の利益となって売却します。

    そして、自分の専門分野である山林事業に進出し秩父の山林を買収しました。

    自分が理解できている得意分野に投資するというスタイルは、ウォーレン・バフェット氏の考えにも通じるものがありますね。


    「二割利食い」と「十割益半分手放し」

    株式投資においては、「二割利食い、十割益半分手放し」というルールを課しています。

    このルールは非常にわかりやすいものです。
    保有している株が2割値上がりしたら利確して、株価が2倍(10割益)にまで高騰したら半分を売却して、元金を確保するというものです。

    元金分をきちんと取り戻すことで、損失を出しません。
    本多は、このような堅実な投資を心がけています。

    そもそもの手持ち資金が、日々倹約をして貯めたお金です。
    博打は打たずに大事にお金を運用していく考え方があるのでしょう。

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    本多静六氏の投資の格言

    ここからは本多氏の格言を紹介します。

    • 「十割益半分手放し」という流儀のほかに、「二割上げ利食い」といったものがある。
      この両者を適当に使い分けていくのが、私の株式投資法の全部であった。


       出典:本多静六「私の生活流儀」
    • 「好景気、楽観時代は思い切った勤倹貯蓄」(すなわち金を重しとする)、「不景気、悲観時代には思い切った投資」(すなわち物を重しとする)という鉄則を樹てて直進することを人にもすすめている。


       出典:本多静六「私の財産告白」
    • 私は五十からの理想として、自分の確実に得られる年収を四分し、その一分で生活し、一分を貯金し、一分を交際修養に当て、残りの一分を社会有用の事業に投ずることにつとめてきたが、いわゆる私の「四分の一貯金」は、最後において「四分の一奉仕」ということに変わってきたのである。


       出典:本多静六「私の財産告白」
    • 人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない

    本多静六氏を詳しく知る方法​

    本多静六氏について更に深く知るための書籍を紹介します。

    私の財産告白 私の生活流儀 人生計画の立て方

    半世紀以上にわたって読み継がれる、本多氏の蓄財や人生の著作です。
    多くの投資家や成功者に影響を与えています。

    マンガ  伝説の億万長者に学ぶ貯金と資産の増やし方

    本多氏の投資哲学や人生論の全貌について漫画でわかりやすくまとめられています。。


    まとめ​

    本多静六氏が評価されている理由は、お金を稼ぐ能力に長けていることだけではありません。

    これほど努力して築いた巨万の富を、退官後にはなんと全財産をすべて寄付してしまったのです。
    匿名で数百億円を手放すということは並の人間にできることではないでしょう。

    そのお金は公共事業や教育に使われました。
    そして晩年は、質素な生活をしながら執筆活動をしていたといいます。

    他者のために私財を施すという本多氏の社会貢献に対する意識は、誰もが真似できるものでは有りません。
    この行為こそが、今も人々の心を魅きつけているのではないでしょうか。

    参考資料

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