竹中半兵衛 秀吉を支えた戦国武将の知性とは? – 洞察力や行動力

    竹中半兵衛(重治 )は、豊臣秀吉に仕えた戦国時代の名軍師です。
    半兵衛は三国志の天才軍師である諸葛亮孔明と比較されることもあり、彼の死後に、秀吉は「半兵衛どのを失ったのは蜀が孔明を失ったにも等しい損失じゃ」と号泣したという逸話もあります。

    知略に優れた、彼の逸話は数知れず、そこから感じ取れる、生き様や信念は目を見張るものがあります。

    ・優秀な軍師に似合わず、所持品は質素にするという信条
    ・人の心の扱いに長け、それをも戦略に組み込むしたたかさ
    ・君主に反してでも、自分が正しいと思うことを貫く生き様

    このような竹中半兵衛の生き方を、逸話を交えて紹介していきます。

    目次

    竹中半兵衛とは – その略歴

    兵法や軍略の勉学

    1544年、竹中半兵衛は美濃(現在の岐阜県)に斎藤家の家臣である、竹中重元の子として生まれます。
    として生まれます。
    10代半ばの頃、父が不在の中、所有していた城を襲われます。
    そのとき、手堅い戦術で敵軍を退けるという輝かしい初陣を飾ります。
    半兵衛は兵法や軍略の勉学に励むようになりました。

    美濃の斎藤家に仕え、稲葉山城を乗っ取る

    1560年、19歳のときに竹中家の家督を相続し、菩提山の城主となります。
    美濃の斎藤義龍に仕え、1561年に義龍が死去すると、斎藤家の家督を継いだ斎藤龍興に仕えます。

    1561年には織田信長が美濃に侵攻します。
    1563年、竹中半兵衛は戦法「十面埋伏陣」によって織田軍に勝利したとされます。

    しかし、斎藤龍興は酒色に溺れて政を行わない人物でした。
    1564年2月、半兵衛が21歳のとき、十数名で、斎藤龍興の稲葉山城を乗っ取ったという逸話があります。
    斎藤龍興は逃亡しました。
    8月頃には斎藤龍興に返還し、その後は隠遁生活を送ったとされます。

    豊臣秀吉の家臣になる

    1567年、織田信長の侵攻によって、美濃の斎藤氏は没落します。
    半兵衛は浅井長政の客分となりますが、1年後には旧領の岩手で隠棲します。

    1567年頃には、豊臣秀吉の家臣として仕えることになります。
    六角氏との戦いや浅井家内への調略で活躍しました。

    豊臣秀吉の中国攻めでは、総大将に任じられ、宇喜多氏の家臣である明石氏の調略などで活躍します。

    1579年、中国攻めの遠征中に、播磨三木城の包囲中に病に倒れます。
    半兵衛は36歳の若さでこの世を去ります。

    [PR]


    竹中半兵衛の人柄と、見抜く力

    竹中半兵衛の人柄や生き方を表している逸話を紹介します。

    wikipedia.org, 禅幢寺所蔵の肖像画

    主君を諫めるための稲葉城乗っ取り

    半兵衛が、若い時に美濃(岐阜県)の斎藤龍興に伝えていたときのエピソードです。

    斎藤龍興は酒や女遊びにおぼれて、国政を顧みない人物とされています。
    一部の側近のみを重用し、半兵衛の意見には耳を傾けませんでした。

    そんな龍興を見かねて、「城を乗っ取る」という警告手段に出ます。
    人質として城内にいる弟に病気と偽らせ、見舞いという口実で家臣数人を送り込みます。

    そして、わずか10人程で武器をもって乗り込み、城を乗っ取ります。
    その後は、斎藤龍興を攻めていた織田信長からの申し出も断って、龍興に城を返します。

    実際のところ、半兵衛が城を乗っ取った真意は明らかではありません。
    「こんな無警戒の城はいつでも落とせますよ」と諭す目的ともいわれています。
    このエピソードからは、半兵衛の無欲さや、自分の行動へのケジメが評価されています。

    知らぬ顔の半兵衛

    竹中半兵衛がもとになったとされる「知らぬ顔の半兵衛」という諺があります。
    彼は飄々と相手を利用したり出し抜いたりすることに長けていました。

    それが分かる逸話が二つあります。

    相手の真意を捉える

    半兵衛が斎藤氏の家臣だった頃の話です。
    織田信長は、竹中半兵衛を寝返らせるために前田利家を送り込みました。

    半兵衛はそれを見抜き、素知らぬ顔をして親睦を深めました。
    逆に、織田軍の兵力などの情報を引き出したのです。

    その結果、美濃に侵攻してきた織田勢を撃退することができました。
    半兵衛は人の心や戦況を読み解く能力と人心掌握術に長けていたと考えられます。

    表層でなく、裏の真意を捉える

    もう一つの逸話は秀吉の配下についた後の長篠の戦いでの逸話です。

    秀吉の陣の前で敵の武田軍が移動を開始しました。

    秀吉は「挟み撃ちにされるのでは」と思い、撤退の命令を下します。
    しかし、半兵衛は「これはただの陽動だ」と見抜き、命令には従いませんでした。

    武田の軍勢は本体と合流し、半兵衛の陣に攻めかかります。
    半兵衛はそれを何とか食い止め、時間稼ぎに成功しました。

    もしも、半兵衛が秀吉の命令に従っていたら、秀吉の陣は壊滅していたともいわれています。

    上の者への命令に背いてでも、自分の正しいと思うことをする半兵衛の信念の強さと、それを成し遂げうる実力には、脱帽です。
    後ほど述べる、黒田官兵衛の子を助けた逸話も、そのことを表しています。

    [PR]


    竹中半兵衛の格言

    竹中半兵衛の生き様や、思想を示す格言を紹介します。

    要害がいかように堅固であっても、人の心が一つでなければものの用をなさない

    この言葉からは、どのような竹中半兵衛の考えを示しているのでしょうか。
    これは、難攻不落と言われた稲葉山城を、たった数十人ほどで制圧した際の言葉だとされます。

    「堅固な守りを誇る立派な城があったとしても、人の心が一つにならなければ無意味」という意味とされています。

    分に過ぎたる価をもって馬を買うべからず

    これは半兵衛が常に貧相な馬に乗っていたことを気にかけた秀吉に対しての返答です。

    「高すぎる馬は買うべきではない。なぜなら、戦場で高価な馬のことが気にかかり、注意力が散漫になってしまうからだ」という意味が込められています。

    たしかに、余計なことで頭が埋まると、物事に集中できないでしょう。
    実績を出すためには、「いかに自身が集中する環境にするか」が大事であると感じるエピソードです。

    wikipedia.org, Monami

    竹中半兵衛が好んだもの

    竹中半兵衛が好んだものや、尊敬していた人物はどういうものだったのでしょうか。
    彼が愛着を持って使用したものからは、彼の性格や生き様を感じられます。

    愛刀:虎御前の太刀

    虎御前の太刀は、半兵衛の戦果を挙げた半兵衛が秀吉から受け取ったものです。

    彼はこの刀を後生大事にしたようですが、実戦では使用しなかったとされます。

    尊敬していた人物:黒田官兵衛

    黒田官兵衛は同時期に秀吉のもとに仕えた名軍師でした。
    黒田官兵衛は半兵衛とは正反対の性格ですが、優れた戦術と人柄から、半兵衛からの信頼を得ていたようです。

    半兵衛と官兵衛の絆を象徴するエピソードが一つあります。

    織田信長の家臣・荒木村重が謀反を起こし、黒田官兵衛が幽閉されます。
    織田信長は官兵衛が裏切ったと誤解しており、官兵衛の息子(黒田長政)を殺せと命じました。

    しかし、半兵衛は官兵衛の息子を殺したふりをして、彼をひそかに匿っていました。
    信長の首実検には、偽の首を提出させました。

    半兵衛は官兵衛が裏切っていないことを確信していたのでしょう。

    この逸話は、命令に反してでも、信念を貫いた半兵衛の信念も象徴していると言えましょう。

    (以下、PRを含みます)

    竹中半兵衛を更に知る方法

    竹中半兵衛を更に知るための書籍や、地域を紹介します。

    竹中半兵衛 – 歴史小説

    竹中半兵衛の生涯を描く歴史小説です。

    垂井町

    竹中半兵衛の縁がある、岐阜県の垂井町に訪れて見るというのはどうでしょうか。
    竹中半兵衛重治公嫡男である重門公の居館跡や、竹中氏ゆかりの約100点もの品を公開している菁莪記念館があります。
    「竹中半兵衛重治公のふるさとを巡るコース」も用意されています。
    垂井町観光協会:http://www.tarui-kanko.jp/docs/2021092900014/

    垂井町ではふるさと納税もあり、飛騨牛やはちみつが返礼品になります。

    まとめ

    様々な逸話から、竹中半兵衛の生き方や考え方を見てきました。

    自分の考えを貫く強さ、したたかさなどの逸話を触れました。

    竹中半兵衛からは「表層だけで判断せずに見抜く力」や「「常に良いパフォーマンスができるような心構え」など、ビジネスや投資などで、参考になる思想・心構えが確認できます。

    参考資料

    • 井伊美術館『名物「鉄(くろがね)の鞍」』
      https://www.ii-museum.jp/blank-59?lightbox=dataItem-jhlkem7p
    • 歴史の魅力『竹中半兵衛』
      https://rekishi-miryoku.com/article/takenaka_shigeharu/
    • WEB歴史街道『黒田長政の「一の谷形」の兜は金色に輝いていた?』 PHP研究所https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/2585
    • Rekisiru『竹中半兵衛とはどんな軍師?生涯・年表まとめ』
      https://rekisiru.com/989
    • 藤堂しま『竹中半兵衛のおすすめ本4冊。豊臣秀吉の両兵衛、黒田官兵衛とあわせて読む』 ホンシェルジュ
      https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1638
    • pinon『「竹中半兵衛」は無欲にして剛毅な天才軍師だった』 歴史ヒストリー
      https://sengoku-his.com/502
    • 加来耕三『秀吉の天下取りに尽力 竹中半兵衛“兵法の極意”』 月間ゲンダイ
      https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/232077
    • 産経WEST『竹中半兵衛、山本勘助、そして官兵衛…作戦失敗は即ち死、リーダー以上に重い軍師の“非情の世界”』
      https://www.sankei.com/west/news/141201/wst1412010006-n3.html
    目次