本多静六氏は明治・大正・昭和にかけて活躍した投資家です。
堅実な分散投資を行うことで財をなしたことから、しばしば「日本のウォーレンバフェット」と呼ばれます。
令和の時代になってもなお、彼の生き様や投資手法に魅かれ、称賛する人たちは少なくありません。
具体的に本多静六氏の何がすごいのか。
それは
・ サラリーマンでありながら独自の貯蓄術でお金を貯めた
・ 堅実な分散投資で巨万の富を築いた
・ 定年後は匿名で全財産を寄付した
というところが挙げられます。
本記事では、本多静六氏の具体的な投資手法や人生、彼の遺した名言などを紹介していきます。
- 東京帝国大学の林学の教授であり、日比谷公園や明治神宮神などの造園に携わり、植林・産業振興などの分野で活躍
- 「蓄財の神様」と称され、独自の蓄財投資法と生活哲学により、現在価値で100億円以上の富を稼ぐ
- 定年を期に財産は寄付し、「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、清貧生活を続けた
- 目次
- 生い立ち
- 投資スタイルとは
- 投資の格言
- もっと詳しく知る方法
本多静六氏の生涯

本多静六氏は現在の埼玉県久喜市に折原家の第6子として生まれました。
折原家は名の知られる裕福な農家でしたが、本多が9歳の時に父が急逝しお金のない苦しい生活を余儀なくされます。
しかしそれでも本多は諦めることなく苦学し書生として住み込みで働きながら東京山林学校に入学。主席として卒業しドイツにも留学しました。
ちなみに本多という苗字は本多敏三郎の娘である詮子と結婚し婿養子となったため。
ドイツ留学中にブレンダノ教授の薫陶を受け、勤倹貯蓄に目覚めました。
造園家として日本全国の公園の設計などに携わる傍ら、分散投資をはじめ巨万の富を築き上げたのです。
本多静六氏の投資手法と実績

「4分の1天引き貯金」と「分散投資」
本多の投資手法は「4分の1天引き貯金」と「分散投資」が有名です。
「4分の1天引き貯金」とは月給の4分の1を自動的に貯金に充てること。
さらには臨時収入、今でいうボーナスも消費に使わず貯蓄に回してしまうというものです。
薄給で貧乏であった時代であっても、この貯蓄法を継続し、投資に使う種銭として資産を増やして行きました。
本多はお金がない時からこの貯蓄術を実行しています。
意思の強さもあったと思いますが、天引き分はもともと最初からなかったものとして考え、別口座に移動するという仕組みづくりがしっかりしていたということもあるでしょう。
こうして貯めたお金を元手に本多はコツコツと投資を始めていきます。
投資対象は主に株式と土地山林です。
当時政府が力を入れていた日本鉄道株に投資し、2倍以上の利益となって売却。
そして自分の専門分野である山林事業に進出し秩父の山林を買収しました。
自分が理解できている得意分野に投資するというスタイルはウォーレン・バフェット氏にも通じるものがありますね。
「二割利食い」と「十割益半分手放し」
株式投資においては「二割利食い、十割益半分手放し」というルールを課しています。
このルールはひじょうにわかりやすく、保有している株が2割値上がりしたら利確して、株価が2倍(10割益)にまで高騰したら半分を売却し元金を確保するというもの。
元金分をきちんと取り戻すことで損失を出さないという堅実な投資を心がけています。
そもそもの手持ち資金が、日々倹約をして貯めたお金であるので、博打は打たずに大事にお金を運用していく考え方があるのでしょうね。
本多静六氏の投資の格言
ここからは本多氏の格言を紹介します。
- 本業第一たるべきこと。本業専一たるべきこと。一つのことに全力を集中して押し進むべきこと。これが平凡人にして、非凡人にも負けず、天才にも負けず、それらに伍してよく成功をかち得る唯一の道である
- 財産蓄積に成功しようとすれば、焦らずに堅実に、しかも油断なく時節を待たなければならない。
いわゆる宋襄の仁で、世の薄志者を気の毒がって甘やかすのも禁物。
ウマイ儲け口に欲張って乗せられるのも禁物。
出典:本多静六「私の財産告白」 - 「好景気、楽観時代は思い切った勤倹貯蓄」(すなわち金を重しとする)、「不景気、悲観時代には思い切った投資」(すなわち物を重しとする)という鉄則を樹てて直進することを人にもすすめている。
出典:本多静六「私の財産告白」 - 倍加する度に、その所有地の半分を手放した。
すなわち「十割益半分手放し」という私の流儀で、半分残った土地を只にしておくのである。
ある。これは株式でも同じことで、あまり欲張らず、それかといって別に遠慮もしない。
出典:本多静六「私の生活流儀」 - 私は五十からの理想として、自分の確実に得られる年収を四分し、その一分で生活し、一分を貯金し、一分を交際修養に当て、残りの一分を社会有用の事業に投ずることにつとめてきたが、いわゆる私の「四分の一貯金」は、最後において「四分の一奉仕」ということに変わってきたのである。
出典:本多静六「私の財産告白」
まとめ
本多静六氏の凄みや人気の理由は、お金を稼ぐ能力に長けていることだけではありません。
これほど努力して築いた巨万の富を、退官後にはなんと全財産をすべて寄付してしまったのです。
匿名で数百億円を手放すということは並の人間にできることではないでしょう。
そのお金は公共事業や教育に使われ、晩年はまた質素な生活をしながら執筆活動をしていたといいます。
他者のために私財を施すという本多氏の社会貢献に対する意識が今も人々の心を魅きつけているのではないでしょうか。