世界の投資家やリーダーの思想や理念 - 「最後の相場師」是川銀蔵が株式市場で大成功を収めた理由

日本で「最後の相場師」と呼ばれた是川銀蔵。住友金属鉱山の株式を買い占め巨額の利益を上げ、1983年に発表された高額納税者番付では全国1位に輝いた事がある一方、是川氏が亡くなった後に残されたお金はほぼ無く、遺産と呼べるものはほとんど無かったと言われています。この話を聞いただけでも「投資家」という言葉より「相場師」と形容するには十分かもしれません。それ以外にも
・「相場師一代」という書籍を出版
・「カメ三則」「投資5ヶ条」を考案
・是川奨学財団を設立
など投資の世界に限らず、後進の為にも尽力した人物でした。兵庫県の貧しい漁師の家庭で生まれた是川銀蔵。今回は、そんな是川氏がどのような投資手法で成功を収めたのか、また投資に対する考え方・生い立ちを見ていきましょう。
是川銀蔵氏とは ~ 略歴 ~
是川氏は兵庫県明石の貧しい漁師の末っ子として誕生しました。是川氏が3歳の時神戸市へ引越しを行い、14歳で貿易商の丁稚となります。その後、勤めいていた貿易会社が倒産してしまった後、第一次世界大戦が勃発。是川氏がロンドンを目指して出国する最中のことでした。是川氏はロンドン出国を諦め、軍との商売を始め、食料品などを扱い利益を上げていきます。1915年に贈賄容疑で逮捕された事もありましたが、この際は未成年であった事を理由に無罪放免。その後、金属資源を売却する商売を始めるなどして利益を上げたほか、貝ボタンの工場を経営するなど様々な事業を行います。
本格的に投資の世界へ踏み込んだのは1931年、是川氏が34歳の時でした。投資の世界に入った是川氏は辣腕をふるい、70円の元手を年末には100倍である7,000円まで増やします。以後、商品先物で「綿」の仕手戦を昭和綿花株式会社と戦い、今度は1万数千円の損失。以後、投資資金を集める為に土地投機を行い数億円の利益を獲得した後、株式投資の世界へ再び舞い戻ってきました。ここまでの略歴を読むだけでも「相場師」と言う名前が当てはまりますが、是川氏が”相場師”と呼ばれたのは何と言っても「住友鉱山株」の買い占め。住友鉱山株を買い占めた結果、是川氏は200億円もの利益を獲得したと言われています。前出の文章だけを見ると株式投資だけで成功したようにも思えますが、是川氏がこれまでに経験した様々な苦労・失敗が200億円と言う利益を生んだとも言えそうです。
是川銀蔵氏の名言・格言
是川氏が投資に対してどのような考えを持っていたのかが最も分かるであろう投資に関する名言を紹介します。どの名言もとても深く、独特な投資哲学を思い起こさせる言葉ばかりです。
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相場は天井において最も強く見え、底において最も弱く見えるもの。
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私は1日1日、それこそ真剣勝負をやっておるんです。
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人が気づかぬ所にいかに目を配り、人が気づく前にどれだけ早く行動しているか、買って、売って、休み。これが商売で成功する三筋道なのだ
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是川銀蔵氏の投資手法と実績
波乱万丈な相場師であった是川氏はどのような判断基準を用い株式を購入していたのか、その手法について紹介していきます。、是川氏が生前遺した「投資5ヶ条」と「カメ三則」の中から、特に参考になるであろう手法をピックアップし紹介していきます。
銘柄は自分で勉強し選ぶ
裏を返せば、他人がすすめる銘柄に手は出すなと言う事でしょう。現代で言えば、株の専門誌や経済誌などに踊らされる事なく、自分で調査した銘柄こそ買いだと読み取れます。”相場師”と呼ばれた是川氏ですが、とても堅実に投資先を選んでいた事が伺えます。投資の世界で有名なピーター・リンチ氏も「調査なしで投資する事は、手札を見ないでポーカーをするのと同じだ」と説いているように、投資で成功する為に投資の勉強・調査することが必要不可欠だと分かります。
過大な思惑はせず、手持ちの資金で行動する
現代風に言い換えれば「リスク管理を徹底する」「自分を律する」と読み替える事ができるでしょう。お金が絡んでくる投資の世界では、自分を律する事がとても難しい場所だと言われます。欲望や思惑が複雑に絡んでいる投資という世界で自分を律する事はとても大事ですし、必要以上のリスクを(例えば生活費に手を出してしまったり…)取らず手持ちの資金で行動する事は投資家としての自分を守ることにも繋がるでしょう。
値上がり株の深追いは禁物
是川氏は「株価には妥当な水準があるので、値上がり株の深追いは禁物」という言葉を遺しました。極端な例で言えば、業績は軒並みマイナスなのに株価は急上昇している銘柄などの深追いは禁物だという事です。また、是川氏は「株価は最終的に業績で決まる」という言葉も残しているように、業績以上の株価になっている銘柄は敬遠すべきだと考えていました。
不測の事態などリスクはつきものと心得る
投資の世界では、突然株価が暴落するというリスクは常につきまといます。リーマンショックやコロナショックにより株価の急落などが挙げられるように、投資というのは常に「お金を減らしてしまう」という危険があります。だからこそ、先ほど述べたように「過大な思惑はせず、手持ちの資金で行動する」事こそが大事だと是川氏は説いています。
まとめ
「最後の相場師」と呼ばれた是川銀蔵でしたが、投資手法を見るとかなり堅実な手法で株式投資と向き合ってきたのかが分かります。是川氏が残した言葉をまとめると「学習する事、研究する事、そしてリスク管理をする事」の3つに分けられるでしょう。
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